さむぶろぐ

ルービックキューブが好きな社会人が日常生活、たまにキューブについての記事を書くブログ

先日、いつものように布団の中で横になりながらTwitterのタイムラインを見るという最高に非生産的な行為をしていると衝撃的なワードが飛び込んで来た。










「680円の商品に1180円出す男は気持ち悪い」











僕は夢でも見ているのだろうか。それとも、女性とはみんなこのように意味不明な思考を抱いているのだろうか、それともこの女性だけなのだろうか。



様々な考えが頭をグルグルと回ったが、とりあえずソースを確認しよう。





どうやらこのようにお釣りをまとめる行為に不快感を抱く女性は多いらしい。出るわ出るわ。



「830円や930円に1030円は分かるけど680円に1180円は気持ち悪い、もし店に500円が無かったらどうするつもりなのか」





これは分からないでもない…のか?確かに僕もこの間、170円の切符を買うために駅の改札機に220円を投入したらお釣りとして10円玉5枚がザラザラザラ!!!と出てきて立ちすくんだところである。




「夫がよくやるので横から小銭を抜き取って1000円だけ出させている。卑しいから離婚しようかな」





小銭を抜き取るのも端から見ていて気持ちのよい行為ではないぞ。それとそんな理由で離婚したら多分民事裁判で負けるぞ。数百円のために数百万円失ってもいいのか。




さらにその理由についても読んでみる。

『「財布の中身を増やしたくない、整理整頓したい」

 

このような自分に都合の良い勝手な感情を、赤の他人に押し付けるという行為とその性根が卑しいと感じる』




らしい。


……………



















この意見に対して僕は真っ向から反対し、跡形も残らないように叩き潰し、ペンペン草も残らない荒野にしていこうと思う。



ちなみに僕は暗算が得意なのでこの辺の行為はプロ級に近い速度でお釣りの最適解を導き出せる。


つい昨日、スーパーで278円の弁当と99円のハニーレモンジーナ(計377円)を買ってレジに持って行き、会計が出る前に合計金額を暗算し、財布の中身を見ると




500        10      5         1
100        10      5         1
100        10                 1


という感じだったので0.5秒ほどで計算して527円を出して150円のお釣りを得たところである。


コツはmod50,mod100,mod500あたりに常に目を光らせておく事である。
分からない人はwikipedia先生で「剰余演算」とでも調べよう。



財布の中を綺麗にしたいという自分勝手な感情を相手に押し付けるのが卑しいだって?


つまりあなたは


コンビニで216円の品物を買う時


500円玉だけをドヤ顔で店員に押しつけ


お釣りの284円を錬成するためにレジから100 100 50 10 10 10 1 1 1 1円玉を殊勝にほじくり出す店員の様子を見て悦に浸りながら




その大量の小銭が本当に足りているのか目を光らせながら

  




受け取ってから「もしかして50円玉が100円玉と間違えられてるかもしれない」という淡い期待を抱き





期待を打ち砕かれ





財布の小銭ゾーンを酸素欠乏状態にすることは卑しい行為ではないのに







最初500円玉だけを出そうとするも「さすがに店員がつらそう」と憐憫の情を抱いて



さらに追加で21円を出して




店員が笑顔で305円を錬成してお釣りを手渡すのを見ながら




自分も良い気持ちになって




無駄に財布も膨らませず





晴れ晴れとした気持ちで一日を過ごそうとするその行為を





少しの手間をかけて幸せを探求していこうとするその態度を





「気持ち悪い」と、「卑しい」と、






そう言いたいのか







まるで理解できない。






 

そもそも小銭の整理を店員に押し付けるってなんだ。そのレジの中の金は店の金であって店員のポケットマネーではないぞ。店員がレジの金を持ち帰って「あああもう!また今日も小銭めっちゃ増えた!めんどくさい!」なんてしないんだからな。むしろ努力して小銭を減らそうとしているのはこっちの方だ。





そもそもこの国はクレジットカードがちっとも普及していない。調べてみたが先進国の中では最低クラスの20%代。



ヨーロッパにはそもそも現金払いを禁止にしている店も珍しくはないのに。




難癖を付けられたくない彼氏諸君はカードを持とう。中でも「リボ払い」とかいうのはすごい。そこに金がなくても物が買えるらしい。まるで魔法ではないか。




以上より、お釣りを整理するのが気持ち悪いと感じる人は「自分には出来ない計算をしているのがなんとなく気持ち悪い」と思ってるだけと結論付けよう。



女性の考えてることは僕には一切理解できません。 だから僕には彼女が出来ないのか…



無心でキーボードを叩いていたら喉が渇いてきた。まだ冷蔵庫に飲みかけのハニーレモンジーナが残っているはずだ。




ではまた。 

さっきの一語記事はちゃんと投稿できてたみたいですね、久しぶりすぎたので念のため試しにやってみました。
さて、 今回は最近僕が行っているチャレンジについてです。







それは、「SS」。




SSとはサイドストーリーまたはショートストーリー の略で平たく言うとまあファンによる二次創作ですね。




原作ではあんまり絡みの無いキャラクターに会話させてみるのも、ギャグマンガのオチの後の世界を勝手に想像して描いてみるのも、もうなんでもSSです。





二次創作の元ネタはまあラノベでもアニメでもゲームでもなんでもいいんですが基本的に公式では書かれていない独自見解をそのキャラクターに落とし込む必要があります。(僕が書いているのはアイドルマスターシンデレラガールズという作品ですがまあ今回のメインではないです。)

その解釈によっては別の解釈を持った人にあまり好ましくない印象を抱かれたりすることもあります。
いやーつらい。




いや頭では分かってるんですよ?公式見解にさえケチ付ける人がいるんだから自分の独自解釈なんかなおさらだってことは。それでも必死に考えた話を酷評されるのはなかなか精神にクるものがあります。





原作をアレンジした脚本を書いた作家やアニメ化した際の声優がイメージと違うと叩かれたりするのを見るともはや他人事とは思えなくて辛い気持ちになって来る…





(いや他人事だよ一緒にされたら迷惑だろ向こうは仕事でやってるんだぞ)







「表現の自由」 という言葉があります。もはや陳腐なフレーズとさえ言えますがなぜいちいちこんなことを言う必要があるのでしょう?



それはたぶん「自由」の意味をはき違えた人が多いからなのでしょう。


「どのような見解を持っていても自由」というのは自分と異なる意見を叩いても良い理由にはなりません。しかもその作品に深くはまり込むせいでより視野を狭め、探究心を失わせ、新たな可能性を阻害する原因になると僕は思います。


そうなれば異なる意見は排斥の対象としかなりません。当然ですよね。自分はこんなにもこの作品が好きなのだから。 自分の見解は間違っているはずなどないのだから。




あ、もちろん明確に読み手を不快にさせるようなキャラクターの解釈やストーリー運びをしている作品もありますが。






別に僕がSSを書いて界隈人に読んでもらうのは自分の見解を押し付けて戦いたいわけではないです。ただ「こんなことをつらつらと考えてみたよ、みんなの意見も聞いてみたいな?」ぐらいの気持ちです。それでもこうやって発信していると当たりの強い人も出てくるわけで。



だからまあ今回の記事は「僕は僕で楽しくやってるのであんまりいじめないで欲しいな〜」ってことです。「あんたの視野、狭まってない?」とか言えるほど立派な人間でもないので。





(むしろ自戒の意味も込めてます。この間も思い込みで他人を批判したばっかりなので。)







最後にもしも暇なら、皆さんも「『あなたの好きな作品 SS』」で検索してみてください。その作品が好きな人たちのその作品への思いが読み取れるはずです。もしも感性に合わない作品に出会っても出来ればそっ閉じして次のSSを読んでくれたらと思います。以上、しがない初心者SS作家からでした。今後はもう少し更新頻度を上げていくつもりなのでまたいつかの機会に。


 

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