さむぶろぐ

ルービックキューブが好きな大学生が日常生活、たまにキューブについての記事を書くブログ














その男は、金沢で絶望していた。


8月12日、CCK三日目。 男は右手の人差し指を喪い、5平均65秒で入賞を逃し、4平均39秒で決勝進出を逃した。



このあたりは男のWCAページを見れば分かることだが、男は一年以上前から14ラウンド連続平均Sub40、五度の平均35秒という抜群の安定感(悪い意味で)を出しながらも平均Sub35ができていなかった。金沢では多くのパリティに阻まれるどころか自滅によりスタートラインにさえ立てなかった彼のメンタルはすでに決壊寸前であった。

そして試験によって京都大会欠場&内定者研修旅行によって日本大会欠場(※)。


キューブから数ヶ月単位で距離を置こうかと考えていたその時。


東北大会が開催される情報を目にする。



これはある男が北陸支部と山形キューブ会の助けにより人生初の東北に上陸し、キューブに明け暮れた3泊4日の記録である。







9/20 8:00






初日はバスで大阪からさじーさんのいる福井県に向かう。









これはペットボトルを無理やり押し込んだらなんとか入ったのでセーフ。






実は曽祖父以前の代は福井県小浜市に住んでいたので墓は小浜市にある。よって墓参りによって福井県に来るのは15回目ぐらいであるが、それは全て小浜市なので福井市に来るのは初である。



さじーさんと18:00に合流するまでひたすらデレステのイベントを走ったり、博物館の見学をしたりで時間を潰す。






福井といえばソースカツ丼。ヨーロッパ軒という店が最も有名らしい。

ソースカツが3枚積み重なっているがこのままでは米を食えないので蓋に2枚ソースカツを乗せて1枚ずついくのが主流らしい。



そして初のさじーさんハウスに着弾する。ここに来たことあるキューバーって何人ぐらいいるのかな。

そしてさじーさんと二人交代でジャッジをして大会ごっこを行ったり、手順の共有をしたりして遊ぶ。


まあ大会ごっこ酷かったんですけど




そんな感じで初日はさじーさんちの寝袋にくるまって眠る。



9/21 8:00起床



さじーさんの車で福井から金沢に向かい、金沢からはJRCA北陸副支部長の徳田さんの車に乗り込む。他の面子は支部長の塚本さんと大学生のオークくんの合計5人で出発。


オークくんは今年大学四年生でこの間院試に合格したらしい。あと二年頑張れ。








これは途中の栄サービスエリア(確か)で食ったカレーラーメン。味は普通。


中にジャガイモが5つぐらい入ってた。(熱かった…)












そして海外旅行の経験ゼロ、東北、北海道上陸経験ゼロの僕は新境地に向かう…










そうして約七時間のドライブの末、ついに山形県に到着。徳田さん本当にありがとうございました。

「CCKにも何回か来てもらってたけどやっと名前覚えたわ」とのことで、関西大会2016の打ち上げで挨拶して以来、3年半越しに名前を覚えてもらいました。実績解放。



「え?Sum?そういうのはもう分からん!こせきやのにこだまさんやったり、そういうのはもう覚えてられん!」とのことです。無念。





 


そうして県庁で山形キューブ会代表、まるけんさんの車に乗り込む。まるけんさんにお会いするのは日本大会2017以来二年ぶりなのでとても懐かしい気持ち。10歳差だけど友達です。



まるけんさんの家はめっちゃ広かった。このまま飯食ってシャワー行って寝るだけと思いきや、山形キューブ会のカメラマンTERU君や編集のNasa君がやって来る。そしてあれよあれよという間に撮影開始。



とても貴重な経験をさせていただいて感謝。様々なメディア取材を受けているさじーさんと普段から司会進行で話し慣れている僕だったから割とスムーズに撮影が進行したように思う。(さじーさんの潤滑剤動画と僕のF2L動画は全てリテイク無し)



そんなさじーさんの潤滑剤紹介動画はこちら↓






その元となったまるけんさんの潤滑剤紹介()動画はこちら(めっちゃおもしろい)↓






僕のF2L動画はこちら↓













そうして夜は更ける。いよいよ22日は東北大会。無事に結果を残せますように。おやすみなさい。





前編はここまで。






※その後関西多分割大会が発表され、さらに研修旅行の日程が11/2,3だったのが11/1,2に変更になったので日本大会も2/3日は参加できることに。キューブはしばらく引退せずに済みそうである。
 

今まで何百人に聞かれていた問い。




「なんでハンドルネームがSumなの?」





僕は答えてきました。






「本名が佐村健人だからですよ。」 







はい、まあこれは結論から先に言うと心の弱さからくる自己防衛みたいなもので、色々と話してこなかった内容もあるので閲覧者稼ぎも兼ねてこの期にパーっと言っちゃうか〜!!みたいな気持ちになったわけです。


















それでは、劇寒自分語り①よりさらに昔の自分語り、はじまりはじまり〜











1996年12月2日、村瀬家の長男村瀬 祐介が出産予定日よりも45日ほど早く産まれてきました。2157gだったそうです。


母親は画数なども調べた上で僕の名前候補を「祐介」と「健人」の二つまで絞ったそうです。






「祐」には「たす(ける)」という訓読みがあります。「介」にも「介護」や「介助」など、助けるという意味があります。そんな風に人の役に立つような人に成長して欲しい。いざという時に困った人に手を差し伸べられるような人間に育って欲しい。そんな願いが込められているらしいです。




「健人」はそのままですね。2157gで産まれてきた僕に心身ともにただただ健やかに育って欲しかったそうです。 







それから約二年、僕の実の父のせいで村瀬家の環境は最悪だったそうです。実の父は安っぽいドラマで見るような典型的なクソ野郎だったそうです。家に金は入れず、妻(僕の母親。この辺の話は全て母親から聞いた話。)、2歳になった頃には僕にも平気で暴力を振るうような奴だったらしいです。


僕はあんまりこの頃の記憶がありません(2歳だから当然だけど) 。なんとなく怖い人がいて、なんとなく怖かったような記憶が微かに残っている気がします。(気のせいかも)




1999年2月、僕が2歳の冬に離婚が成立してその半年後に母親が再婚しました。僕が今の父親と初めて会ったのはそんな夏の日だったそうです。




僕のことを「かわいそう」と思った人がもしもいればそれは大きな間違いです。僕はこの20年間とても幸せに育ってきましたし、父親はとても優しく、偉大で尊敬できる人です。この話を切り出されるまで実の父のことなど一生思い出すことはなかったでしょう。





上の話を切り出されたのは中学校入学の数ヶ月後です。「父さんは、本当は実の父親じゃないんだ。」なんてベタなセリフ言われたことあります??僕はあります。



上記の話を聞かされても父親は父親で変わりはないし、特になんとも思わない、今まで育ててくれてありがとう、みたいなことを言った気がします。こっちもベタ返しですね。両親はそれを見てホッとした顔をしていた気がします。まあ中学生にもなるとその辺の分別も付いているし、そう判断した上で満を辞して僕にその話をしてくれたのでしょう。


しかしその時二人はある重大な点を見落としていたのです。









僕は知ってしまいました。






















僕の中にはその村瀬とかいうクソ野郎の血が入っていることに。














妹は2001年4月生まれ、そう、今の父の娘です。僕と妹は実は父親が違います。そのクソ野郎の血が入っているのは僕一人です。




12~13歳は確かに実の父ではないことを言われても冷静に処理できる程度には成熟しているかもしれませんがこの時期はアイデンティティ構成に非常に重要な時期です。(今思えばなんてタイミングで暴露してんねんと思いますね。)その頃の僕は自分の中にクソ野郎の遺伝子が存在していることにひどく異物感を覚え、凶暴で粗野なもう1人の自分が出てきやしないかとビクビクしていました。






小学生の頃の宿題(名前の由来を聞いてこいみたいなやつ)によってもう一つの候補の健人はすでに知っていました。そうしてネットやゲームのHNで「村瀬健人」という名前を使い始めました。そう、「村瀬健人」というのは僕に存在していたかもしれない「もう一つの可能性」であり、「もう1人の自分」だったのです。





「村瀬健人」なら粗野な言動をしても良いし、ゲームで非道なプレイをしても構わない。だって僕は村瀬健人、村瀬の血が入ってるんだもん。お父さん、お母さん、僕は名前の通りこんな健やかに育ちましたよ!!!!!!褒めてくれるよね??????????????
 















さすがにダサいなと思い始めていた中学三年生の時に「era」という英単語を習いました。意味は「時代」。ここで僕は簡単なアナグラムに気づきます。

「MURASE」→「SUM ERA」


バカバカしいと思うかもしれませんが僕はこのタイミングこそが村瀬の名を捨てるチャンスであるかのように思いました。そう、これからは「Sumの時代」。HNも「Sum era」を縮めて「佐村」にしよう。健人には罪は無いしこのままだ。




そうして僕の「もう1人の自分」は「佐村健人」、もしくは縮めて「Sum」に落ち着きました。SamでなくSumなのはこういう理由です。












































…みたいなエピソードだったらカッコよくない???



はい、今までの話はほとんど全部嘘。村瀬って誰だよ。僕は今の父親の実の子です。妹と異父兄妹ではありません。本当なのは僕の誕生日くらいで他全部嘘。ここまで読んでくれてサンキュ〜、まったね〜〜〜〜〜〜〜
 

7/20



5average 1:01.96。CCK5×5サイクシート4位→2位になる。よかった、この通りにソルブが行われるだけで乗車券ゲットだ。何とも簡単なことだ。





8/9


東海の偉い人からCCK前日入り勢で飯に行くツイートが送られてくる。「別にそんなにうらやましくない」と正直に返す。





Day 1

8/10  4:00


CCK関西支部メンバーの朝は早い。まことくんと合流。こうさん今年もよろしくお願いします。

関西大会以来一回も4BLDをやっていないのでタニシのブログを読んでU面センター手順を確認。日が登ってから回して確認。

いくつかのサービスエリアを経由しながらコロさん、けんごさんの車でも運んでもらう。いろんな暴露話に花が咲く。とても地上波ではお届けできません。





9:30
創作の森に到着。扉を開けたら第一声は「ただいまー!!」。ごめんな、362日も家出して。

去年妖怪ウェルチあつめが現れたことにより今年は用意数が倍になったらしい。そして今年は妖怪が寝静まっているらしい。ウェルチのドクターストップとは一体…。




10:30
足決勝。去年二発DNFで入賞失敗の白さんがしっかり二位。いやー去年はあの後の落ち込みようがハンパなかったから本当によかった。

ということは、一位のあの子が…彼がDayanか。なかなか大変そうなE班だけど頑張れよ。


10:50



4BLD。4ヶ月ぶり。通しでやるのがとかではなくこれ以来本当に一回もやってない。
さあ、何回でも文字数確認してループ確認してやる!!!





センターとウイングエッジは完璧だったけどコーナーの分析と音記憶が適当だったらしい。


そしてこれで集中力がプッツンしたので残りの二回はやらずに終わりを伝えることにした。
早起きだったしまあ仕方ない。元々この一回で決めなければ無理だとは思っていたし。さっきの関西大会のグッチャグッチャなのも二試技目で一試技目はかなり揃っていたので二の舞を演じてもしょうがない。

これは後から見たことだが、北村さんがしっかり初挑戦初成功させていた。僕より後に練習を開始してスキップしながら追い越されてしまった…
 

昼飯
触った瞬間に120円が奪われる罠を掻い潜り適当にラーメンを啜る。雑さは風呂に行くタイミングと班数のバランス、そして洗い物の仕事回数などに起因している。班数は5班で厨房を使う食事も5回。



12:40

メガ決勝。メガはさっぱり分からん。家でも2分切ったことがない。

らいひーが誰にも気付かれずNR更新していたらしい。めでたい。 本人は45をカウントしたことに全く納得がいっていなかったが。


13:25

クロック決勝。 ユリノキがNRを0.02秒更新していたらしいが誰もNRのタイムを覚えていない問題。


13:50


5BLD。なんか僕がジャッジした人が結構すごい記録を出したような…何だったかな。 






このあたりでたむそんさんに初邂逅。イケメンだったクソッ。 


風呂はいつもの温泉に行くのでそこで自分の班員を確認。おおつきさん(実は同期らしい)とMMの顔を確認。

MM13歳ってまじかよ…




初日の夜は空いている時間にひたすら5だけ回してた気がする。横の布団で寝るはずのえすぷれさんが一生布団に戻ってこなかった。 あーあと花火もうっすらやった記憶がある。




(没ネタ、F2L警察は記憶から抹消された)




Day 2


8/11  7:00

前日早起きの影響もあり7時までグッスリ寝ていた。さあ、開幕から6決勝。今2:20なのでサクッとSubうえしゅうさん(2:18)するか!



出来ず。3試技目にPOPして10秒くらい無駄にした。(average 2:20→2:19)



12:20

スクエア決勝。まことくんがまたまたAsR更新(WRは上がらず)。ちょっと日本ではしばらくこの一強時代続きそう。


12:40

7決勝。なんか途中まで速かったけど2試技連続中列パリティ回し間違えてどっちも30秒くらい無駄にした。

まあ7はどうでもいいんだけど


14:05

昼飯を食ったらマルチ。眠くなる…

僕の挑戦数は4個。2/2より2/4の方がはるかに記録を残しやすいのはまあ少し考えたら分かること。

え、NR何位かとかはどうでもいいけど


こいつまたやりやがった。あんだけ塗り直したのに何でなのか。BLD向いてないとしか言えない。

4個で。

僕の後ろでは北村さんが4/4できっちり記録を残していた。僕より速いタイムで。何から何まで完敗した。




晩飯のカレーを飲み干した後の夜は女子高生と人格が入れ替わったような記憶がぼんやりと残っている。僕がJKと君の名は。した結果飲酒事件やら何やらが起こったのは他の人のTwitterでも確認できる通りである。



セーラー服を着てのキューブ用語限定ナンジャモンジャでは様々なパワーフレーズが発生。

Juliette Sebastien(その日の夜に4.44出したことも含めて)
「Kevin Haysの膝の皿」
「スクランブラやるぞ〜」
「どう見てもピラなのにスクエア」
「Juan Pablo Huanqui 」
「あやねる」

あの場にいた人にしかこの面白さが伝わらないがこの刹那的な思い出もCCKならではなのである。



Day 3

8/12


なんか朝5時に起きて3年目にして初のブランコに乗る。朝練として5を40ソルブ。まさに朝飯前。
おそらくふみきさんと初めて会話する。僕の本名が違うみたいなよくわからないことを言っていた。

「僕のこと知っていますか?」と聞かれたので
「地下アイドルと1000枚のチェキを撮られた方ですよね?」と返したら「いや、確かにそうなんだけど…triboxの元従業員…」と悲しそうな顔をされていた。

ふみきさん今更ながら40歳以上の6世界記録おめでとうございます。





今日は3二回戦、4予選、5決勝。それまでの二日がどうでもよく感じるほど僕にとって最重要種目である。



あー、研修棟にハチが?ハチは三年目で初かもな。まあ刺される前に叩き落せば問題なし。



はい、じゃあ外に出しとくぞ〜



ん?痛!!!


あれほどクリティカルに叩き落としたのにまだ生きてやがったのか…


ちくしょう、よりにもよって最重要の右人差し指を…あ、これちょっとシャレにならない。


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。








4予選も3二回戦も人差し指使用不能。よくあれでSub40とSub12できたな。


ここでコロさんがムヒアルファEXを買ってきてくれたので感謝してドバドバ振りかける。

くそ、さすがに間に合わない。痛みを無視してトリガー使うしかない。





はい、CCK終わり。3決勝と4決勝にももちろん進めず学生最後(予定)のCCKはあっさり閉幕を迎える。



こんな時のためにwithout index fingerの練習もしておくべきだった。用意が甘かった。





最後の昼飯の弁当を食ってると終わりを実感して悲しくなるなあ…

昼休みに行われたマジック大会は明らかにその後の3決勝より盛り上がっていた。



乗車券は他の方々がたっぷり獲得していたのでまあいつものやつで帰りの車でも乗せてもらった。本当にありがとうございました。




というわけで一番大切な備忘録は





金沢よ、さらば!また362日後に会おう。
 

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