食レポが嫌いだ。








そう、バラエティ番組などでろくに味も分からないだろう芸人や貧弱な語彙しか持ち合わせていないモデル共が番組の金で飯を食ってその感想を公共の電波に乗せて発信するアレが大嫌いだ。




順を追って説明しよう。意見を他人に受け入れてもらう際には「根拠」が必要だ。


まず、「説明がありきたり」な場合だ。「採れたての春野菜のなんちゃら」を食ったらあいつらすぐ「甘い」とか言うでしょ?僕別に野菜が甘くて嬉しいと思ったことないんだけど僕がおかしいんですか?

他の代表例としては「xじゃないみたい」「yが苦手な人でも」などがある。x,yにシュークリームでも代入してみよう。

「新感覚シュークリーム」とかを食べて「シュークリームじゃない」と言う感想はひどいと思う。シュークリームが好きな人はシュークリームの感触がいかに残った上でその差異を知りたいと思っているのにその前提を砕かれてしまうと何を元に判断すればいいか分からなくなってしまう。この感想は誰に向けられた宣伝にもなっていない。

同様に「シュークリームが苦手な人でもおいしく食べられる」のようなものも挙げられる。シュークリームが苦手な人はそんな冒険してシュークリームを買おうとは思わない。いかに従来のシュークリームと異なる要素があろうともマーケティング対象を捉え損ねてはいけない。この場合だと最終的な宣伝効果としてはシュークリームが好きな人にはそれを買う理由が見当たらず、嫌いな人はもちろんそんなものは買わずに大福を買う、という流れになって終わる。




ちなみに僕はシュークリームだいすき。おごって






次に、「〇〇と××がマッチしている」などの「的確なことを言っているのだろう」という感じのタイプ。ほとんどの人はそんな細かいことはどうでも良く、なぜ美味しいのか、そこだけに興味がある。ダシを利尻昆布で取っていようとも土佐の鰹節で取っていようとも関係ない。「どう?俺分かってるでしょ?」的な顔をされても困る。





最後に、いかにうまそうなレポートをされていたとしても結局僕はそれを食えないのだ。「見てくださいこの肉汁!!!!」と言われても「やーだ!腹減るから見たくなーい!!!」となってチャンネルを変えてしまう。僕が食レポで唯一楽しい瞬間は肉を途中で噛み切ろうとして噛み切れず、焦って一口で全部食べるのを見るときだけである。あの瞬間の「あっやべっ」という顔だけを集めて編集してニコニコに投稿したいぐらいだ。



そんな僕は肉を食う金がないので朝から納豆をかき混ぜている。今日も一日頑張ろう。